○輪島教会礼拝堂隣接の洋服店の建物に、赤紙が貼られました。住むことは出来なくなりました。周辺の住宅にも調査があり、赤紙の家が多数あるそうです。礼拝堂と牧師館に赤紙はないようですが、心配です。2007年3月28日13:30の情報
○2007年3月28日12:00 輪島教会の近況をアップしました。
○2007年3月27日午後 輪島教会牧師勇文人先生は、若草教会(石川県金沢市)転任のため輪島を離れられました。
けれども、若草教会のご厚意により、輪島と金沢を、自由に往復しながら輪島教会を支えていただくことになっています。
輪島教会の後任の教職は与えられませんでしたが、今春東京神学大学大学院を卒業した五十嵐成見氏が、信徒伝道者として着任してくださいます。五十嵐氏は、日本基督教団以外の教会からの転入でしたので、補教師試験の受験資格を得るまでにあと1年必要だったのです。29日勇先生と金沢で合流し、能登の諸教会・諸施設を被災地訪問した後、輪島教会会員及び関係者のところを訪問される予定です。その後、輪島教会での活動を本格的にされる予定です。
なお、中部教区の輪島教会教職謝儀援助は、教職者を対象とするもので、信徒伝道者を対象としてはおりません。能登圏は2月の能登圏委員会で、輪島教会の謝儀援助を議決していますが、財源に限界があります。その不足分は中部教区諸教会が輪島教会への献金として献げられることになっています。
以上
能登圏委員長 釜土達雄
2007年3月26日11:15 内城恵先生のメール(個人名などふせてあります)
釜土先生
地震情報のページをありがとうございました。
昨日は、お電話を頂きありがとうございます。
礼拝後、七尾教会ともなかなか電話も通じず、○○先生や△△先生、☆☆先生から電話を頂き、お昼の段階で連絡をとりました。
その後、やはり心配で
車を運転し寸断された道路をなんとか輪島まで行ってまいりました。
その後、羽咋教会に戻って皆様にメールを出した次第です。
………HPにアップしていただいた情報……………………………
富来(とぎ)伝道所 3月25日18:15現在の報告
礼拝時間が17:00です。
富来伝道所は常駐の牧師がいませんので、富来伝道所礼拝担当の羽咋教会の内城牧師夫妻が、迂回路を通って到着しました。
夕方の余震で、伝道所内の家具が倒れ、お皿などが割れました。また、本震の時には大丈夫であった壁などが、少しずれた感じがするとの報告を受けました。
内城夫妻が礼拝後、お皿などの片付けをするとのことでしたが、再度の余震や停電のことも考えて、掃除は明るいうちにすることとし、いったん羽咋に戻ることになりました。内城牧師夫妻は、明日もう一度富来に向かいます。
………………………………………………………………………
↓
私達は今日、富来伝道所には行かれませんが、教会員が行くことになります。
昨日は夜、富来にのこって掃除をしていましたが、何度か大きな余震がありました。
屋根瓦が数枚崩れおち、壁のくずれ、柱のゆがみのためか床と畳の隙間が開いている・・・・等、事態は思っていたより深刻になりそうです。瓦の崩れた部分によっても雨漏りなど、今後も余震が心配です。
白百合幼稚園も子育て支援センターも、夜中に再度見に行き、朝も見てきました。
こちらも牧師館がひどい状態で、昨夜は夜明けまで片付け等をしておりました。
落ち着いたらまた、報告の文書をお送りします。
どうか、七尾教会と幼稚園が今後も主の守りのうちにありますように。
輪島教会の勇文人牧師の報告 (個人名などはふせてあります)
なお、勇文人牧師は、3月27日で輪島を離任される予定です。
輪島教会は、後任に信徒伝道者を迎えることが決まっています。(釜土)
2007年3月26日 13:35の勇文人牧師の報告
気になっていた教会員を何件か訪ねました。後片付けに追われているものの、気も張っていて元気です。外部からのボランティアの申し出もありますが、今のところ必要ありません。むしろ自分たちで片付けたいという思いが強いようです。
本震の時には気がつかなかった亀裂が度重なる余震で出来たのか、会堂の内壁や外壁に見られるようになりました。余震が落ちついた段階で調査診断が必要になってくると思います。
2007年3月25日 23:30の勇文人牧師の報告
その後の輪島教会の状況です。
朝の礼拝に集まったものは地震発生時点では教会学校に6名の子供たち、さらに今日を限りに私が輪島教会を辞任することもあって、送別会の準備のために早めに来ていた婦人たちも含めて大人が7名いました。朝の主日礼拝は行わずに祈りの時を持って自宅へと送り返しました。それでも17名の方たちが入れ替わり祈りの時を持ってから自宅へと向かいました。
また、夕拝には15名と通常の3倍の兄弟姉妹が集まりました。中には、寸断されている道路を片道1時間半かけて朝夕共に往復した一家もいます。
教会員と教会学校の生徒で怪我をした方が2名、一人はやけど、一人は裂傷です。他に打撲をした人がいますが、いずれも軽傷で、元気な顔も見ることが出来て感謝です。
教会の周辺で倒壊した家が少なくない中で、教会も牧師館も建物は無事です。不思議と感じられるほどに壁は落ちず窓ガラスは一枚も割れませんでした。もちろん、今後の余震や風雨などで不都合が出てくる可能性がありますが……
書棚が倒れたり、食器棚が倒れてガラス及び食器は粉々ですが、教会及び牧師館の片付けは大方終わりました。
教会員の家も倒壊した家はないようです。ただし、隣りの家の塀が倒れてきて家に損傷を受けた方もいます、少なからず被害は出ています。またむしろこれから、今は気が張っていて後片付けに追われている方たち、特に高齢の方たちが心身にダメージを受けるのではないかということが心配ですし、子供たちの心のケアも必要になってくるかも知れません。
しかし何よりも支えになるのが祈りです。お祈りください。
2007年3月25日23:30現在のコメント(釜土達雄)
夜になり、ようやく落ち着いてまいりました。
本日の七尾教会の状況は次のようなものでした。
地震発生時、七尾教会はCS礼拝中。子どもたちは8名。教師は3名、父兄が3名で守っていました。
礼拝説教者は釜土蘭子姉でした。CS礼拝の場所は教会隣接の幼稚園2階部分。和室台所隣の集会室です。釜土は中学礼拝担当でしたが、出席者がいなかったので、他の2人と共に幼稚園の台所でコーヒーを入れて、出来上がったところでした。
地震の状況については、テレビのニュースの通りです。集会室は幼稚園の場所ですが、元々は教会の教育館。1960年建築ですので、地震の時には心配な場所でした。幼稚園部分は1990年建築ですので、耐震上は問題のない場所です。しかも、通常以上の耐震性を備えるように準備してありました。
幼稚園の子どもたちがいつもいる場所は十分な耐震準備がしてあったですが、うかつだったのはCSで使っていた場所は、幼稚園の保護者会が使っていた場所でしたので、準備が手薄だったのが反省点。視聴覚教室と呼んでいた場所は本箱が転倒し、台所の食器棚からは、食器がほとんどすべて飛び出しました。
ただ、ラッキーだったのは、少し前に七尾の小学校に地震を体験する車がやってきていて、震度6の地震体験をしていたことでした。出席者の内2人が体験していたのと、他の子どもたちもよくお話しを聞いていたのが幸いで、だれもパニックになりませんでした。
ただ、隣の視聴覚教室と台所の方が状況として悪かったので、CS礼拝が守られていた集会室にいたのが幸いだったと思います。CS教師と子ども達の間では、「蘭子先生の説教がいつもより少し長かったのでシール貼りのお部屋に行く時間が遅れたのでよかった・・・」と言うことになっています。
1960年建築の教会礼拝堂、旧教会教育館(現幼稚園集会室)に行かないようにして、幼稚園の建物にみんなで避難をしました。2階台所を通り抜けなければなりませんでしたので、とりあえずカラツやガラスを一箇所に集め、道を造って幼稚園2階多目的ホールから1階幼稚園ホールに移動しました。その後、幼稚園ホールで、CS礼拝修了の祈りをし、保護者の方のお迎えを待つことになったのです。
ただ、電気は止まり、電話は全く通じず、防災無線は新しい情報を次々流し、消防と警察のサイレンが響き渡る緊迫した状況だったのです。20分ほどで電気は復旧しましたが、電話がかかりにくい状況はずいぶん続きました。もっとも、緊急連絡用の幼稚園電話は、有線電話として機能していたらしく、着信は全くしませんでしたが、発信の方は数回に1回は発信が出来、助かりました。
CSの子どもたちの中には、お迎えの子もあり、そのまま大人の礼拝時間中に幼稚園のお部屋で過ごす子あり、保護者の方と連絡を取って、居場所を定めました。
わたしの方は、その間に電話が無理だったので、とりあえずのメールを何件かに送信。同時に、礼拝堂ではなく幼稚園ホールで礼拝を守ることとして準備をしてもらいました。近くの家の教会員の方は家にいったん帰ってもらって様子を見てもらい、ある人は近所の人を連れて、安全な幼稚園に避難かたがた礼拝を守られました。
約15分遅れの10:45礼拝開始。終了は11:45でした。小さな余震はありましたが、礼拝時間は平静に礼拝が守られました。ただ、初来会者3名、久しぶりの出席者3名でしたが、毎週礼拝を守っておられる近くの方は数名の出席にとどまり、怖くて家からでることも出来なくなったり、交通機関がすべてストップしたために、移動できずに断念なさったのでした。
本日は、婦人会総会でした。教会総会にいたるタイムスケジュールでしたので、食事が準備されていました。地震発生時、食事準備はほぼ終了していたのが幸いでした。礼拝後、この状況下で、食事だけは出来たのが本当に良かったと思います。そしてそのあと、会員総数の過半数が出席していた(と言っても6名ですが)婦人会総会を開き、5分ですべてを承認・可決して、解散しました。むしろ多くの時間を、割れた食器の後片付けや、本箱を元に戻したりする時間に充てられました。わたしの方は、メール送信すると同時に、一人の長老と共に、近隣の教会員の方のところに車で訪問、安否を確かめて教会に戻ってきたのでした。
その後、輪島教会の情報や、羽咋教会の情報が入りまじめましたが、七尾から出ることも出来ず、石川県私立幼稚園協会や石川県への被害報告もしながら、時を過ごしておりました。
さて、七尾の中心街は、個別の状況は違いますが、道路等の大きな陥没は数カ所にとどまっているようです。液状化現象にによる地盤沈下もあちこちに見られますが、埋め立て地が主で、全部の場所ではありません。とりあえず、ライフラインは確保されています。スーパーも電気店も通常通りの営業に、午後からはなりました。
輪島が大変だとテレビは伝えています。輪島教会の河井町は大変のようです。また輪島市と合併した旧門前町も大変のようです。富来伝道所は、門前町を挟んで輪島とほぼ同じくらいの距離の反対側にありますから、心配しています。
わたしは、七尾幼稚園・羽咋白百合幼稚園・学童保育ゆりっこ児童クラブの3つの施設の園長及び施設長ですから、とりあえず明日、子ども対を受け入れる体制を作ってから、状況を見てくるつもりです。
何が必要なのかは、よく分かりません。
ただ、婦人会の皆さんは、婦人会費で購入した台所のお皿やお茶碗がほとんど埋め立てゴミになってしまったのがショックのようです。最もそれはおいおいに考えましょう。
教会礼拝堂が、今後も持つのかどうかは不明ですが、見た目はちゃんとしています。写真に撮ると、どこに問題があるのか分からないくらいです。その本当のところをこれから調べなければなりませんが、時間がかかると思います。
電話機の主装置の故障は現在も続いています。電話回線の緊急用回線(同じ番号)を持っていますので、電話器を夜に購入し、先ほどつけました。何しろ幼稚園の電話を確保することが必須。次いで、教会の電話を確保することも必須です。ただ、ビジネスホンではなく家庭用電話を緊急用としてつけましたので、電話をとれない場合には携帯電話に転送されるように設定してあります。
ただ、お電話もありがたいのですが、メールでご連絡をいただいた方が、感謝です。
また、このホームページをご覧いただくと、何とか様子が分かるかもしれません。
よろしくお願いいたします。
とりとめもなく、失礼をいたしました。
釜土